Racing Legend
ー2つの流星ー

 1981年 フェラーリは新たな問題を抱えた。
 晴れて、ナンバーワン・ドライバーに就いたカナダ人、ジル・ヴィルヌーヴ。
 対して、リジェから移籍したフランス人、ティディエ・ピローニ。
 その両者の確執であった。

 1982年サンマリノグランプリ、イタリアの地元イモラで行なわれるこのレース、もちろんスタンドはフェラーリの赤で染められていた。
 そして、レース終盤、フェラーリ、ヴィルヌーブ、ピローニの1−2フォーメーションにティフォシ達の熱狂は頂点に達しようとしていた。チーム体制通りの2人の走行に。
 スロー、ポジションキープのピットサインが出された。だが、ピローニは、ヴィルヌーヴをオーバーテイク。
 この1−2フォーメーションを無視するのである。

「同じマシンを与えられたのだから速い者が勝利する。それとも、チームオーダーが重要だろうか?いや、ティフォシ達の目の前でジルより速いってとこを見せてやろうじゃないか。」
「ティディエ、なかなかのファンサービスじゃないか。2人がバトルしてるように見せるんだな。よし、でもファイナル・ラップまでには抜かせてくれるよな。」

 ファイナル・ラップ、ピローニはヴィルヌーヴを抑えこみフェラーリの1−2フィニッシュ。
 表彰台の上、大いに喜びシャンパンを振りまくピローニ、片や、その横で無然とするヴィルヌーヴの姿。

 78〜79年、新人ながら何度か勝利したヴィルヌーヴ。
 だが、チーム内では、ナンバー2でサポート役に徹することも多かった。
 それゆえに、同じチームのナンバー2、ピローニに負けたことで彼のプライドは大いに傷ついていた。

 そして、迎えた5月8日。
 次のグランプリが、ベルギー、ゾルダーにて行なわれた。
 その予選2日目、残り15分、ピローニに0.15秒遅れたヴィルヌーヴは、ニュータイヤでタイムアタックに出て行く。

 サーキット上は順位を上げようとするマシンでにぎわっていた。
 その中、グリッド最後尾になるタイムを出していたマーチに乗っていたヨッヘンマスを、右からパスしようとしたヴィルヌーヴとが接触、フェラーリ126C2は100m以上宙を舞ったのち、ノーズから地面に突っ込んだ。
 その後も横転を繰り返すマシン、シャシーは粉々、車から弾きだされたヴィルヌーヴはキャッチフェンスに横たわった。

 航空機なみの事故から7時間後、午後9時12分、ルーベンの病院で息を引き取った。
 享年30歳。彼なくしてフェラーリを語ることはできないだろう。

 ヴィルヌーヴの死から、3ヵ月後、ホッケンハイムのドイツグランプリの雨の予選でピローニは視界不良でプロストの乗ったルノーに後部から突っ込んだ。
 ヴィルヌーヴ同様、宙を舞う高速でのクラッシュだった。
 脚を複雑骨折した彼は、翌年31回もの手術を受ける。
 エンツォ・フェラーリは、回復したらフェラーリに復帰させると約束したが、それは叶わないまま、1987年、夏、パワーボートのクラッシュで命を落としている。

 ーレース中のアクシデントだけでは片付けられない激しい葛藤と確執が生んだ哀しい幕切れだった。ー

 ティディエ・ピローニは、イモラでの一件を心から悔やんでいた。
 彼の故郷は、彼とジルの写真で埋めつくされた。
「1987年、ピローニのパートナー、カトリーヌ・グーが男の双子を出産。彼女は息子達に、ティディエ、そして、ジルと名づけた。」

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