ANOTHER NIGHT

 我々が追い出されずに済む唯一の楽園は思い出であるージョン・パウル「目に見えぬ会話」

 俺がその友人と会ったのは、まさに数年振りのことだ。
 そのとき俺はモノクロのビデオを暗い部屋でぼんやりと眺めていたし、長いあいだ会っていなかったから、入り口で外の明かりを背に立っているのが誰か判らなかった。しかし、奴とは長い付き合いだ。たくさんの思い出とともに互いに笑顔がこぼれる。
 奴は再会のよろこび以上のうれしさで、今にも踊り出しそうなほどの浮かれ具合だ。
 何か、ビッグニュースでも持ってきたのだろう。奴は、そんな明るさで俺のところに尋ねてきたわけだが、あいにく俺ときたら安物のジンまであおって、まるで、梅雨時の空みたく暗く沈んでいた。部屋まで暗くしていたから、一つだけ二人のあいだで共通点があるとしたら、通りの向かいのネオンが、原色も鮮やかに照らしている事くらい、ということになる。
 再会の喜びもそこそこに、俺の沈み方を見兼ねた友人はこう切り出した。
「どうした、なんかあったのか」
 俺と彼女は別れたのだ。
「そんなにいい娘だったのか?」
 そう、どこにでも居るが、決してどこにも居ない娘だった。いまでも視野のどこかに彼女が居る気がする。目の前の友人と同じくらいの存在感を持っていたのだ。俺は友人の現状を聞き込んでみることにした。
「最近の長びく不況の煽りを食って、俺もとうとう会社を追い出されたのさ。世の中わかんないよな、ほんの数年前まで邁進していた会社が、飛ぶ鳥を落とす勢いで次から次へと消えてゆくんだからな」
 こんな陰気な話を奴は楽しそうに話している。会社を辞めさせられたのは、まるで他人事のようだ。それにしても、声を聞くたびに、昔の事を思い出す。
 奴とは小学一年の頃からの付き合いで、中学、高校と一緒だったから、かれこれ二十年近い仲になる。俺は小さい頃から好奇心が強くいろんなことに頭を突っ込み、奴がその後を追ってくる、そんなことを何年も繰り返していた。そして俺は何故か要領がよく、反して奴はドジばかり踏んでいて、いたい目にあうのはいつだって奴だった。草野球で隣家のガラス窓を割ったときなど、先にボールを拾いに俺がいったのに、叱られたのは何故か奴だった。
 その友人が何故数年振りに会いにきたのか。奴はにやにやして本音を出そうとしなかった。そろそろ尻尾を掴んでやる。しかし、俺が話しかけようとしたとき、奴の方から話を持ちかけてきた。
「お前も彼女に逃げられて落ち込んでるようだから、いい事を教えてやる。なかなか信じにくい話だと思うが、お前なら分かってくれると思うんだ」
 俺は彼女に逃げられたわけじゃない。
「じつはここの近くに通りかかったとき古美術屋に寄り道したんだ。そこの親父が俺に怪しいものを売りつけてきたんだ」
 古美術屋か。
「自分の好きな時代や欲しい世界が手に入っていけるってしたものでな、それをお前にも使わせてやろうと思って尋ねてきたわけだ。どうだ、使ってみる気にならないか。どんな世界だって自分のものにできるんだぜ。たとえばアクション映画の主人公になってあばれまわるのもいい。石器時代でのんびり生きるのもいい。自分の好きな世界で生きていけるんだ」
 こいつは嘘のつけるほど賢い男ではない。ついでに、一端の良識を持っていることはこの俺が約束する。ということは、熱にでもうなされているか、さもなくば悪いものでも食ったか、と言うところか?
 しかし、そのどちらでもないことを俺は知っている。俺は笑いながら結果を知らせてくれと言うにとどめた。
「お前正気か。いっちまった女なんか忘れられるし、もっといい女だって手に入るんだぞ。それどころか、ふられることも、クビになることもなくなるんだぞ。こんなつまらない世界なんかとおさらばできて、一生遊んで暮らせるんだ。一生幸せに生きていけるんだぞ。そんな一生に一度来るか来ないかのチャンスをまざまざと見過ごすきか。ほんとにそれでいいのか」
 そう、それでいい。
「どうかしてるぜ」
 ここ最近学びとったことは、自分が出し得た結果に少しでも満足感を得られない人間は、何を言っても決して満足しない、ということだったのだ。
 数秒ほど、気まずい空気が俺の部屋の中を、友人とのあいだに横たわっていたが、どちらともなく出てきた言葉が、それを消し飛ばしてくれた。
「お互い変わんねえな」
 それからまた俺たちは安物のジンで乾杯し、昔話に花を咲かせた。話はそれこそいろいろな分野に飛び移った。政治、最近の天気、プロスポーツ、仕事や最近の趣味、昔の仲間たちと聞いた音楽まで。
 気がつくと、俺はキッチンの椅子に座って空になったグラスを握ったまま眠っていた。奴はいつのまにか帰ったらしく、その気配さえ感じられなかった。奴は昨夜、本当に俺の部屋に訪れたのだろうか。
 世界は、既に夜明けを迎えていた。
 あれから数週間が過ぎたが例の友人からは、何の音沙汰もない。もしかしたら、俺の想像もできない、全く別の世界で本当の幸せを手にしたのだろうか。それとも・・・
 いや、もうそんなことは考えまい。自分の考えに責任を持とう。昨日まで繰り返し繰り返し見ていたビデオは棄てることにしよう
「ローマの休日」O.ヘップバーン。やはりモノクロの方が美しく見える、と思って毎晩、ジンを片手に眺めていたが、何か違っていた。しかし、最近、やっと分かってきた気がしたのだ。
 ビデオで見るにも、実際に会うのよりも、その体験を、思い出にしたとき、初めて美しく感じるのだ、と。奴にもその事が分かる日がきっと来るだろう。どうあがいても自分のたっているこの世界から逃れて生きることは出来ないのだ。そして、こんな世界が嫌になったとき、ふと、思い出せばいい。そして、日は毎日昇るのだ。

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