月見草の夜
その夜は何か、普通と違う夜だった。
ファルはベッドから身を起こして天窓から入ってくる明るい満月の光を見ていた。
天窓から注ぐ光はただの光ではなく結晶化したそれが降ってくるという印象をファルにあたえた。
ファルはその美しい結晶をしばらく茫然と眺めていた。
こんなに美しい月の光を見るのは初めてだ。
今年で12歳のファルはこれまでこんなに夜遅くまで起きていたことはなかった。
降誕祭の夜でさえも10時をまわるともうベッドに入っていた。
ファルは生まれてはじめて意識して見た月の光にすっかり興奮していた。
時計を見ると午前3時。
早く寝直さないといかないけれど、もう眠れそうもない。
ファルはパジャマのままベッドから這出して部屋を抜け出した。
幅の広い廊下は真っ暗だ。
端に誰かが隠れていても決して分からないだろう。
ファルは急に怖くなってベッドに戻りたいという衝動にかられた。
しかし、恐怖感よりあの月の光を庭で見たいという気持ちのほうが強かった。
そろりそろりと廊下を歩き階段を降りる。
ファルの家は昔、由緒ある貴族が住んでいたという大きなお屋敷だ。
階段も恐ろしく広くさらに下の踊り場は広くて暗い。
ファルはすくむ足を励ましながら階段を降りきった。
そっと両開きの大きな木のドアを開ける。
ふわぁっと冷たい夜の空気がファルの体を包む。
外には満月の光に照らされた不思議な風景が広がっていた。
いつもよく知っている広い庭、それは月の光の下で見る事によって全く風景に見える。
そう、昼間の太陽の下で見る庭をルノワールとするならば今の月明りの下のこの庭はダリの様に妖しく不思議に見えた。
ファルは大きく息を吸い、そして歩き出した。
ファルが目指しているのは裏庭の大きな樫の木。
ファルがこの庭の木の中で一番大好きな木があの樫の木だ。
ファルは早く樫を見たくて途中の不思議に見える様々な物、例えば昼間とは違う妖しさを漂わせている噴水とか、月の下で美しさを増している紫陽花とかを横目に裏庭に急いだ。
庭はとても広い。裏庭にまわりこむ頃にはファルはもう息が切れていた。
普段から運動は得意なほうではない。
もう、動きたくない気分だったが、もう少しで樫の木に着くと思ってファルは肩で息をしながら歩いた。
遠くに樫の木が見えた時、ファルははっと息をのんだ。
樫の木の根元一帯に黄色の絨毯が敷き詰めてある。
その絨毯の黄色はありふれた下品な黄色ではなかった。
透き通るようなそれでいてしっかりと存在感のあるとても不思議な雰囲気を持つ色だ。
だれがひいたのだろう・・・あんなに美しい黄色の絨毯を。
ファルはそう思い、夢中で樫の根元まで走った。
十分、近づいてよく見てファルは驚いた。
黄色の絨毯は絨毯ではなかった。それはびっしりと密生した月見草だった。
「こんな花が生えているなんて・・・」
ファルはつぶやいたまま絶句した。
今も樫の根元に草がたくさん生えているのは知っていたが、ただの雑草だと思っていた。
今もこの花がなんという名前なのかは知らないがこんな綺麗な花の存在を何故、自分は知らなかったのだろうと思った。
放心してどれくらい立ち尽くしただろうか。
ファルは後ろから近づいてくる足音にはっと我に返った。
父だろうか、母だろうか、それとも使用人の誰か・・・
誰にしろこんな夜中にこんな場所にいるのを見つかったら怒られるに決まっている。
ファルは振り向きざまに頭を下げた。
「ごめんなさい。月があんまり綺麗だったものだから....」
答えはない。
ファルは恐る恐る顔を上げた。
ファルの目の前にはファルより2つくらい年上の少年がおかしそうに微笑んで立っていた。
品のいい白のシャツに黒のしなやかなズボンをサスペンダーで吊っている。
ファルはこの少年に見覚えが無かった。
どうしていいのか分からずにただ、少年の顔を見ていると少年は微笑みながら話しかけてきた。
「やあ。こんばんわ」
少年の顔は白い陶器で出来た人形の様に整ってしかも白かった。
その顔が微笑むととても美しく見えた。
「こ・・・こんばんわ」
ファルは口ごもりながら答えた。胸がどきどきしている。
「こんな夜中にこんなところで何してるの?」
少年は優しげな口調で問いかける。
「あ・・・あの、月が、とっても綺麗だったから、眠れなくて・・・」
「そう。そうだね。こんなに綺麗な月夜は久しぶりだね。ほら、月見草もこんなに綺麗な色を出している。」
少年は足元の月見草を指差した。
ファルの視線は少年から月見草に落ちる。
「月見草・・・っていうんですか、この花」
「知らなかったの?」
「ええ。今まで花をつけてるところなんて見たこともないし・・・ただの雑草だと ・・・」
少年はくすくす笑いながらいった。
「いいかい、雑草なんて名前の植物は地球上、どこを探してもないんだよ」
ファルは月見草から目をあげて少年を見る。
少年の視線は月見草に注がれている。
その視線は限りない慈しみをたたえているように見えた。
ファルが黙っていると少年は言葉を続けた。
「それぞれ、草や木には名前があるんだ。この草は月見草だ。あそこに生えているのはあだちそう。そしてそこのは蓬。あそこに見えるのはヒメジョオン・・・みんな、君には"雑草"に見えるだろうけれどね」
ファルは驚いていた。雑草を雑草以外の何かだと考えた事は今までなかった。
雑草にもそれぞれ名前があるという事はファルには大きな衝撃だった。
「あだちそう・・・ヒメジョオン・・・」
「そう。彼らは君のお父さんが夢中になっている薔薇や君のお母さんが大好きな鈴蘭と同じ様に植物として生きているんだ」
そういうと少年はすっとしゃがみこんだ。そして愛しげに月見草を撫ぜた。
「この月見草はね、月の光を集めてこんなに綺麗な黄色をつくるんだ。みてごらん。この透き通った黄色。どんな立派な絵描きだってこんな色は作れない」
ファルも少年の横にしゃがんで月見草を見た。綺麗だった。
月の光を柔らかく結晶させる事ができるのならそれは間違いなくこの月見草の色になるのではないかと思った。
「でも、この月見草が偉いのは綺麗な花を咲かせるからではないんだ」
ファルは不思議そうに少年を見上げた。
少年はファルの問いかけるような視線を優しげに受けてうなずいた。
「この月見草は一生懸命、生きている。生命を燃やそうとしている。そこが素晴しいんだ。いいかい、どんなに綺麗な花をつけようとどんなに立派な実をつけようと生きる事を喜び一所懸命、生きて行こうとしなければそれはもう、死にかけた半分あの世の物になっている命なんだ。この月見草もあだちそうも蓬もヒメジョオンもほら、一所懸命、生きようとして根を張り茎を伸ばし葉を茂らせている。それが大事なんだ。そして、そういう命たちを見つめていられる眼と精神を持った人をこう、呼ぶんだ」
そう言って少年は一つ息をついた。
そしてゆっくりと夢見るような瞳で誇らしげに言った。
「博物学者・・・と」
「博物・・・学者」
ファルはそうつぶやいて少年を見た。
少年は嬉しそうにうなずいて微笑んだ。
「そう。地球のいろんな物を見て、愛して、それを記録する。それが博物学者」
「あなたは・・・あなたは博物学者なのですか?」
ファルの問いに少年は悲しげに首を振った。
「違うよ。僕はね、南蛮煙管って呼ばれている」
「なんばん・・・きせる?」
「そう。僕の通り名さ。南蛮煙管っていうのはね、自分で栄養を作ることが出来ないんだ。南蛮煙管は他の草の根っこにくっついて栄養をもらって生きている」
そう言って南蛮煙管は寂しげに笑った。
「ねえ、なんでここに来たの?」
ファルはいままで驚きの連続で忘れていたが、改めて南蛮煙管が何故ここに来たのか疑問に思った。
「僕はね、いつもここに来るんだ」
南蛮煙管はそう言うと長く白い指を額に持っていきそのまま細くしなやかな髪をかきあげた。
「夜中に?」ファルは眼を丸くして聞いた。
「そう。夜はね、一日でもっともすてきな時間だよ。太陽の強すぎる光で隠れているものがね、顔をだすんだ」
南蛮煙管はそっと空を見上げた。
「光で隠れているもの?」
南蛮煙管の視線を追ってファルも空を見上げる。
恐ろしいくらいの満月の光で樫の枝は不思議な模様をつくっている。
「そう。いろんな物が光の中では見えないんだ」
ファルは疑問をたたえた目で南蛮煙管を見上げる。
南蛮煙管はそんなファルの目を見て嬉しそうに微笑んだ。
「たとえばね、星たち」
「星?」
「そう。星はね、昼間も輝いているんだよ。夜と変わらない明るさで」
ファルは理解できない様だ。
納得のいかない顔で南蛮煙管を見る。
「でも、昼は空に星はないよ」
南蛮煙管は笑いながらうなずいた。
「確かにそう見えるね。でも、本当はあるんだ。ただね、太陽の光が強すぎてかき消されているだけでね」
ファルはまだ納得がいかない様だ。
南蛮煙管はそんなファルを見て目を細めた。
そしてゆっくりとまた説明を始める。
「じゃあ、ファルは大きな復活祭の焚き火の前でマッチを擦ったらそれは目立つと思うかい?」
ファルは首を横に振る。
「それと同じなんだ。あまりに大きな光の前には小さな光は目立たなくなる。太陽は復活祭の焚き火よりずっと大きいし星の光はマッチを擦った光よりも小さいんだ。だから昼間は見えないんだ」
ファルは納得した様だ。感心したようにうなずいている。
南蛮煙管はそんなファルを見ながら嬉しげにまた話を始めた。
「他にもいっぱいある。例えば丘の人達」
ファルは目を輝かせて南管を見ている。
「丘の人は知ってるかい?」
南蛮煙管の問にファルは嬉しそうにうなずく。
「はい。丘の上に住むお隣さん・・・ロビン・グットフェロウやパックたちの事でしょう?」
「そう。彼らも太陽の光の下じゃなかなか見えない。だから彼らは昼間、人が彼らを見ることが出来ないのをいいことにいたずらし放題だ」
「え、じゃあ、お隣さんは昼間もうろついてるの?」
驚くファルに南蛮煙管はゆっくりうなずいた。
「そうだよ。ただ、よっぽど注意しないと見ることは出来ない。昼間の光りの中ではね」
ファルは遠くを見るような目をした。
その目にはきっと丘の住人たちの姿が描かれているのだろう。
「注意すれば僕にも見えるかな?」
「ああ。見えるさ。でも、昼より夜の方がいい。見えやすいし、何よりそれがお隣さんへの礼儀だ」
丘の住人たちは礼儀にうるさい。
礼儀を欠くと機嫌を損ねてぷいとどこかに行ってしまう。
行ってしまうだけならいいがあんまりひどく機嫌を損ねると魔法でえらい目にあわされたりする。
ファルは少し考えて言った。
「ねえ、今からお隣さんに会いにいけないかな?」
「丘に行くのかい?」
南蛮煙管の問いにファルはコクンとうなずいた。
「ははは・・・お隣さんの住んでる丘は遠いぞ」
「どうして?裏の丘にはいないの?前に裏の丘にもいるって聞いたよ」
「ああ。昔は居たけどね、もうどこかに行ってしまった」
ファルは悲しそうな顔で南蛮煙管を見上げた。
「どうして?」
南蛮煙管も悲しげな表情になる。
「それはね、この辺りも騒がしくなってきたからさ」
「騒がしいとお隣さんはどこかに行っちゃうの?」
「ああ。人が多少、増えて騒がしいのは別にいいんだけどね。機械の騒がしさは彼等、好きじゃないんだ」
そう言うと南蛮煙管はためいきをついて月見草を撫ぜた。
「機械は駄目なの?」
「ああ。お隣さんは機械が大嫌いなんだ。自動車も機関車も鉄砲も。彼等は機械は悪い物だって言っている。機械がたくさんあるところからはどんどん居なくなってるみたいだ」
「機械は悪いの?すごく便利だよ。自動車だって機関車だって」
「うん、便利だけど、お隣さんには駄目なんだ。大体、お隣さんは鉄の物をあまり好きじゃない」
「どうして?」
「お隣さんはね、魔法の力を使うんだ。だけど鉄はね、魔法の力を吸い取ってしまうんだ・・・・・・だから」
「鉄は悪い物なの?」
ファルは悲しげな顔で南蛮煙管を見上げた。
南蛮煙管は笑って首を振った。
「悪いわけじゃないよ。ただ、お隣さんたちの肌にあわないっていうことさ。人間に放射線があわない様に」
「でも・・・鉄の物を沢山、使いだしたからお隣さんがどこかに行ってしまったんでしょう?」
ファルの泣き出しそうな顔を見て、少年はファルの頭を優しく撫でた。
「そうだけどね、お隣さんは決して怒って出ていったんじゃないんだ。そりゃあ、住み慣れた丘を離れるのは悲しかっただろうけど、お隣さんたちは人間を恨んで出ていったんじゃない。だから泣くことは無いんだよ。でも、彼等が追い出されても許してくれた事は覚えてないといけないと思うけど」
「でも、でも・・・このまま機械が増えたら・・・」
「うん。お隣さんたちは地球をでていくかもね」
「そんなの寂しいよ・・・」
ファルは泣き出した。南蛮煙管は優しくファルの肩を抱いた。
「そうだね。人間が独りぼっちになりたくないなら、なんとかしなくっちゃね」
「どうすればいいの?」
南蛮煙管は空を見上げた。
「難しいね・・・人間は自分の可能性に掛けていたいだろうし、もう戻れないのかもしれないね・・・でも僕はまだ希望を持ってるんだ。人間に。人間はもっと大きな事を出来るはずだ。お隣さんを追い立てずに済むような方法で」
「本当?」
ファルは心配そうな瞳で南蛮煙管を見上げた。
南蛮煙管はにっこりと笑ってうなずいた。
「うん。僕は信じてるよ。本当に。人間はもっと賢くなれる。もっと大きくなれる。そうすれば、お隣さんたちと共存して生きて行く術をきっと、見つけだすよ。それを見つけだせたら・・・その時は・・・」
南蛮煙管の笑顔はとても美しく可憐な花の様に見える。
ファルはその笑顔を見ていると何故か心が安らいでくるのを感じた。
「ねえ、南蛮煙管・・・いつ、そんなこと、出来るかな?出来るころまでお隣さんたちは居てくれるかな?」
南蛮煙管はすこし、考えるように息を吸った。
「それは、君たち次第だよ。これからの人間がどうなるかはファルたちが作って行くんだ。ファルたちがこれからの人間を動かしていくんだよ」
「僕たち・・・が?」
ファルはきょとんとして南蛮煙管を見上げた。
南蛮煙管は優しげな顔でそっと呟く様に言った。
「そう。ファルたちの様なお隣さんを思いやれる人間たちがやるんだ」
ファルは興奮したかのようにうなずいた。
しかし、少し不安気に南蛮煙管を見上げる。
「でも・・・出来るかな?」
「出来るさ。お隣さんたちの為にもやらなくちゃ」
「・・・」
「不安そうな顔をしなくてもいいよ。小さな事から始めればいいんだ。少しでも丘や森、川や湖を汚さない様にするとか、花や木や草に気持ちを注ぐとか・・・」
「そんな事で大丈夫なの?」
「うん。それだけじゃだめだけど、人間みんながそれを出来るようになったら、きっと・・・」
そう言うと南蛮煙管の目は遠くを見た。
遠い、まだ来ていない世界をのぞき込もうとしているような目だ。
ファルも南蛮煙管の視線を追った。
南蛮煙管の視線の先は空だった。
星の輝く空の中に尻尾の長い赤いほうき星がすーっと音もなく走っている。
「わぁ・・・綺麗だね・・・」
ファルは感動して言った。
今まであんなに立派なほうき星を見たことがなかった。
もっとも、ほうき星など生まれてから今まで殆ど見た事がなかったが。
南蛮煙管は視線をほうき星から離さずにゆっくりと話しはじめた。
「あれはね、昔、この丘に住んでたお隣さんの一人だよ。クルラコーンの一人でね、赤い翼と呼ばれてた」
「え、あのほうき星が?」
ファルの言葉に南蛮煙管はゆっくりとうなずく。
「ああ。そうさ。君はチョコレットの話を知らないんだな。丘に住みづらくなったお隣さんたちは地上にもう彼等の好むような洒落た物が無くなってる事に気がついて宇宙に出たんだ」
南蛮煙管は夢見るような口調になってくる。
「それで・・・ほうき星に」
「そう。彼等はほうき星になって広い広い宇宙を走り回ってるんだよ。でも、たまに地球が懐かしくなってああやって帰ってくるんだよ」
二人はそれからしばらく黙ってほうき星を目で追った。
とても長い尻尾をひるがえして 空を走る赤いほうき星はとても立派で、でもどこか茶目っ気があるように見えた。
「赤い翼はね、とても気のいい奴だった」
南蛮煙管は懐かしそうに言った。
「知り合いなの?」
ファルはすごい早さで南蛮煙管を振り返った。
南蛮煙管はゆっくりと浅くうなずいた。
その間もほうき星から決して目を離さなかった。
「ああ。クルラコーンのくせに赤い服が好きでね。仲間たちの緑の服の中で一人だけ目だってた」
「ねえ、僕も会いたい」
南蛮煙管は熱のこもった目で自分を見つめるファルに少し困った様な顔をした。
「うーん、難しいな」
「どうして?」
ファルは悲しげな目でほうき星を見上げている。
「ここから呼びかけてる赤い翼に聞こえるかどうか・・・」
南蛮煙管の言葉も聞こえないかの様にファルはほうき星を見上げている。
南蛮煙管はしばらく黙ってファルを見ていたがやがてためいきをついて言った。
「分かったよ。僕が呼んでみる。でも、降りてこなくても怒っちゃだめだぞ」
ファルの顔がぱっと輝く。
「本当?」
「ああ。だけど降りてくるかどうかは分からないぞ」
そう言うと南蛮煙管は紫色のベルのような形の物を取り出した。
「それ、何?」
南蛮煙管はそれを口に持っていきながら 答えた。
「笛さ。これはお隣さんたちによく聞こえる音を出す笛なんだ」
そう言って南蛮煙管は笛に息を吹き込み始めた。
とても澄んだ音色が裏庭に響き渡る。
高く、低く。綺麗な旋律を構成しながら辺りを音で満たしていく。
ファルは音の美しさにうっとりして目を閉じ息を大きく吸った。
空気の匂いまで音楽で変わってしまったかの様に感じる。
どれほど、そうしていただろうか。
やがて、ゆっくりと笛の音は止まった。
ファルは、はっと目を開けた。赤い翼は来たんだろうか?
しかし、目を開けると赤い翼はらしい影はどこにも見えなかった。
ただ、南蛮煙管が笛を手に持って立っているだけだ。
「赤い翼は?」
ファルが聞くと南蛮煙管は残念そうな顔をして首を横に振った。
「だめだよ。やっぱり、僕の笛は宇宙までは届かない」
南蛮煙管があんまり悲しそうに言うのでファルは無理な事を頼んで悪いことをしたと思った。
「ごめん。無理なこと、頼んで」
南蛮煙管は優しい表情でファルを見てそっと頬を撫ぜた。
「ファルは優しい子だね。是非、赤い翼にも会わせてあげたかったけど・・・また、今度の機会にとっておこう」
南蛮煙管はそう言って笛を懐にしまった。
そしてファルを見てポケットから柄が薄い茶色で先の部分が紫色の煙管を取り出した。
「これはまだ君には早いけれど僕からの友情の証しだ」
南蛮煙管はファルにそっと煙管を渡した。
「ありがとう」
ファルはそう言うと煙管をポケットにいれた。
その時、手に何かが当たった。
いつもポケットに入れておいた黒曜石で作ったナイフだ。
ファルはそれを取り出して南蛮煙管にさしだした。
南煙管は驚いたような顔でファルを見た。
「これを?」
ファルは嬉しそうにうなずいた。
「ありがとう。こんな素敵な物を」
南蛮煙管はそう言って嬉しそうにナイフをいろんな角度から眺めはじめた。
そして、しばらくそうしていたかと思うとそれを大事そうにポケットに入れた。
そしてファルの方を向いてゆっくりと笑うと言った。
「そろそろ、僕も帰らなくっちゃいけない時間だ」
「帰っちゃうの?」
心残りな顔をするファルに南蛮煙管は笑った。
「そんな顔しないで。また会えるよ」
そう言うと南蛮煙管はそっと手を差し出してその端正な顔を微笑みで満たした。
ファルはその手を握った。
滑らかな手は白く少し冷たかった。
「それじゃあね」
そう言うとくるりと身軽な身のこなしで体を回転させ塀のてっぺんに飛んだ。
「今度、いつ来るの?」
ファルの問いに南蛮煙管は少し考える様に首を傾げたが、やがて首を横に振った。
「分からない。でもきっとまた会えるよ」
そう言うと猫の様に塀からふわっと飛び降りた。
ファルは南蛮煙管が降りた後の塀を見上げた。
遠くで妖精たちの声をファルは聞いたように思った。