PLUTIA 09

 何の連絡もないまま、一週間が経った。
 わたしが兄を失い、消息を求めて私立探偵を雇い、彼を地獄に送り出してから、七日。長い一週間だった。
 考えれば、浅はかな思い付きだった。兄を失った悲しみと、企業政府の不自然な対応への憤りを、私は何かにぶつけたかっただけだったのかもしれない。もしかすると、誰かにその理由を探ってもらう事で気分を紛らしたかっただけで、心の中では兄の死を受け入れていたのかもしれない。
 そう、それは分かっていた事だった。
 生まれてからこの歳まで、心のどこかで通じ合い、支え合っていた双子の兄ラルフは、もうどこにもいない。他ならぬ双子であればこそ、一番分かっていたはずだった。兄の最後の通信のあとの、途方もない喪失感が全てを物語っていた。それでも、わたしは、彼を、私立探偵を、西部地区へと送り出した。
 あれから、何度彼の事務所にメールを送っても、直接トライブでコールしても、彼からの連絡は何もなかった。
 わたしは、自分のわがままのために、一人の罪もない人間を危険にさらしてしまった。兄の死とは何も関係なく、ただ、第九階層の私立探偵というだけで彼を選び、彼を化け物達の徘徊する廃墟へと追い立ててしまったのだ。
 はじめのうちは、騙されたのか、と疑ってもみた。しかし、わたしと彼の契約では、報酬は成功報酬と、一部の必要経費のみで、まだわたしは彼にクレジットも渡していなかった。
 時間が経つにつれてわたしは不安になり、後悔と自責の念に苛まれながら、祈る思いで彼の事務所へ幾度も連絡を取ろうとした。そうした日が、七日続き、八日目を迎えようとしたその朝、さらにわたしを落ち込ませるニュースがTFに映し出されていた。
「不正武装グループ一斉検挙!!」
 気の重い一日を今日もまた始めるべく、身仕度をしていると、つけっぱなしのTFが忙しく朝のNEWS番組のトップニュースを伝えている所だった。
「昨夜、午後九時ちょうどの軍政庁の正式発表によりますと、第九階層を中心に勢力を広げつつあった新興武装集団『ブリムストーンズ』が、特別公安室の捜査官により一斉検挙された模様です」
 キャスターは武装集団が関ったと思われる幾つかの事件を簡単に紹介し、幹部達が護送バスに連れ込まれるスクープ映像をこれ見よがしに宣伝していた。
 ここまでならば、ただの日常の瑣末な出来事のひとつだった。
「逮捕された武装集団の構成員は幹部十二名を含め五十三名にも上っています」
 画面に映し出される中継現場の軍政庁の建物の正門の前には、TFカメラをもった取材陣があふれており、番組のリポーターも慌ただしく説明をつづけていた。この門には馴染みがある。軍政庁の庁舎はわたしの働く特別統制局の庁舎からは六ブロック離れているが、兄を迎えにしばしば立ち寄っていた場所だ。
「この「プリムストーンズ」は攻性色の大変強い団体だと言われていましたが、捜査・検挙に際して、軍政庁側にも殉職者が出ており、負傷した捜査官も・・・」
 そこで一瞬、殉職者三名と、負傷者十五名の名前がTFの3D画面に浮かび上がった。
『殉職者 ラルフ=タカミヤ少尉 特別公安室 第十三課」
 そこに、兄の名前が載っていた。
『第九階層において潜伏調査中、「ブリムストーンズ」の構成員数人に襲われ、殉職。新暦1月6日に死亡を確認』
 全てが止まったように感じた。
「・・・以上、軍政庁正門前より、カール=ビンセントが御送りしました」
 中継が終わり、キャスターとコメンテイターが一言ずつ感想を付け加えると、番組は、次の民政庁の汚職事件のニュースへ何事もなかったかのように進んでいった。
 わたしの中で、何かが音も立てずに崩れ去った。
 いつもゆったりと構え、母のお腹から生まれ出たのが十数分先だったというだけで、いつもわたしを見守り、支え、励ましてくれたラルフ兄さん。 子供の頃から、わたしを守ることを第一に考え、わたしのどんな我が儘もきいてくれた優しいラルフ兄さん。わたしは、今更ながら、自分が兄をどれだけ頼っていたかを痛感した。
「キット、今日も帰りは約束できないな」
 最後の日、朝出勤前に兄がいつもと変わらぬ笑顔でわたしに声を掛けた。
「今日もわたし一人で食事?今度はいつご一緒できるのかしら?」
 わたしがそうすねて見せると、兄はまたいつものように笑いながら答えた。
「さあ、いつになることやら。忙しいのはいつものことさ。それより早くいい男を見つけて兄さんを安心させてくれよ。このままだと二人して独り身で親父達の歳を追い越してしまうぞ」
「それなら兄さんが先でしょう?たまには帰りが遅い理由に仕事以外の言い訳を聞いてみたいわ」
「ハハハ、彼女が出来たら一番にキットに紹介するさ。まあ、それはそうと今日は少し面倒な作戦があるから準備に時間がかかる。キットは先に仕事へ行くといい」
「ええ、わかったわ。気を付けてね」
「ああ、キットもな。愛してるよ」
「わたしもよ」
 愛している、が最後の言葉だった。

 TFはついたままだった。しかし、目に映る映像も聞こえてくる音声も空しくわたしを通り過ぎていき、永遠とも思える時間が流れていった。
 ふと気付けば、わたしは、トライブの受信を示す電子音が部屋中に鳴り響くなか、ぐったりとうつむいてソファーに座り込んでいた。
「軍政庁特別公安室の者です」
 力なくスイッチを入れると、軍政庁の制服を着た純血の日本人らしい男が、こちらの返事も待たずに、無遠慮に話をはじめた。
「あなたには、非常に辛い想いをさせてしまいました。謝る言葉もありません」
 トライブの先では、兄の上官を名乗る小心そうな男が額の汗を拭いている。
「昨夜の発表にある通り、あなたのお兄様は凶悪な犯罪者達と勇敢に戦われ、立派な最後を遂げられ たのですが、「ブリムストーンズ」にあなたのお兄様が公安関係者だと気付かれる恐れがあったため、あのような処置をせざるを得なかった訳です」
 彼の声が何も考える事が出来なくなったわたしの耳に空しく響いていた。
「死亡された日付を一日ずらしたのもそのためですし、公務上の死亡と認定しなかったのも、潜伏捜査をしていたラルフ=タカミヤ少尉の身分が公にならないようにこちらで情報操作をしたためです。あの時点で軍政庁の動きが敵側に見破られていたら、三ヶ月にも及ぶ潜伏調査や多数の関係者の苦労・犠牲が無駄になってしまうところでした。確かにこの度の事は法律的に見れば違法な処置ですが、正義を愛された少尉の妹さんなら、犯罪者逮捕のための苦肉の策とご理解を得られると信じています」
 男はこちらの返事も待たずにこうしめくくった。
「タカミヤ少尉の尽力無くしては、あの凶悪な武装集団の一斉検挙はあり得なかった事だと思っております。今回は特別にタカミヤ少尉には二階級特進と特別慰労賞が認められていますので、その通達は後日、正式にお伝えします」
 男はこれで言いたい事は終わりだとも言いたげに深々と頭を下げて見せた。ニホン人の血が濃いとこういった心無い仕草を平気でするようになる。わたしはその男の薄くなりかけた黒髪の頭を見ながら呟くように声をだした。
「ジルは、どうなるの?」
「は?」
「ジルファスよ。 どうしろというの?」
 男にはその言葉がいかにも理解できない言葉だったらしい。端から聞くと確かに唐突な質問だ。わたしは 放心の淵から少しだけ気を持ち上げると、わたしの今の全ての問題を彼にぶつけた。
「わたしは兄を探してくれと私立探偵を雇ったの。彼は第九階層の西部地区にわたしの兄を求めてさ迷いこんで、一週間経っても戻らないわ」
 男は怪訝そうな顔つきでわたしの話を聞いていたが、そこまで話すといかにも分かったと言わんばかりに納得顔でうなずいてみせた。
「ご安心ください。その私立探偵に払ったお金は政府の方で立て替えさせていただきますよ」
「お金なんて払ってないわ」
 気付けば、わたしは自分で聞いてもヒステリックと分かるほど高い声で叫んでいた。
「彼はわたしのせいで地獄に足を踏みいれたのよ!もし、もし、彼が死・・・んでいればわたしが殺したようなものよ。わたしが彼を選んでなければあんな依頼さえしなければ!」
「あなたが気にやむことはありませんよ」
 男は子供を諭すようにゆっくりと薄く微笑んで見せた。
「私立探偵ならば、その様な危険は承知の上で仕事を請け負っているわけですし、もしかするとお兄様を探しもせずに雲隠れしているのかもしれません。お兄様を亡くしてただでさえお気を落とされているのですから気にするなという方が酷というものですが、私なら出来るだけ今回の件は忘れるようお勧めしますがね」
 男は無表情にそう言うと、あとは形だけの挨拶だけを残して一方的にトライブの送信を打ち切った。 あとには、TFの騒がしい沈黙だけが残っていた。
 放心したまま無意識で身仕度し、いつもの階層間連絡線に三時間遅れで乗り込んだわたしは、自分の仕事場のある特別統制局の庁舎に結局正午すぎに辿りついた。受け付けで、遅刻の事後登録を行いながら、わたしの課のある十四階の在席情報をみると、当然ながらわたしの在席を示すシグナルは無断欠勤を示す灰色の表示をしていた。それが出勤を表す青色に変わるのを確認しながら、ふと同じ十四階の在席情報を見ると、わたしのひとつ上にあるリードン課長のシグナルが珍しく在席を示す青の明滅の状態になっていることに気付いた。
 わたしは地位的にはリードン課長の補佐役という立場にある。しかし、一年半前に彼に補佐役を言い渡されてからは、課の事務的な処理は殆どわたし一人でやってきた。リードン課長はどちらかというと対外的な仕事をこなすために日々奔走しており、今日のように実際執務室に腰を落ち着けているのは月に数日となかった。ぼうっとした頭で後で遅れた理由を説明しなければと考えながら、わたしはセキュリティチェックを抜け、エレベーターに乗り込み、機械に向かって行き先を十四階と告げた。
 その階の一番奥に、わたしの働く害獣対策部第三課の公務室があった。部屋に入ると、わたしの二人の公設秘書官の内、おしゃべりだが気の優しいリンダが、早速朝のTFの話を持ち出し、好奇心を精一杯隠しながら兄の死を悼んでくれた。もう一人の事務的な話しか交わした事のない無愛想なジェニーは、リンダが話すあいだ黙って端末に向かっていたが、リンダが息を継ぐため一呼吸間を置くとすぐに、課長が呼んでいることを告げてくれた。リンダは、そんな同僚の行為に非難の視線を送っていたが、リードン課長という言葉がでると思い立ったように自分の席に戻って端末での作業の続きを始めていた。
 どちらかといえば、今のわたしにとってはジェニーのような態度の方が有り難く思えた。
 わたしはちらりと自分の机の端末を見て、遅れた分たまっているであろう決済事項に重い気を向かせようと努力しようとしたが、とりあえずはジェニーの言うように、リードン課長の部屋に行く事にし、廊下を挟んで向かい側にある課長の執務室の黒いドアを静かに三回ノックした。
「タカミヤです。お呼びですか?」
 センサーの低い動作音がかすかに聞こえ、続いてドアの鍵が外れる音が広い廊下に響いた。
「今朝のTFを見たよ。お兄さんは気の毒だったな。それで最近落ち込んでいたのか」
 リードン課長は古風なオーク製の大きな机の先の絹張りの椅子にゆったりと座っていた。清潔なダークグレーのスーツを体の一部のもののようにびしっと着こなし、落着いた柄の赤いネクタイをしめた40代後半のイギリス人。高い鷲鼻の先にのせた縁なしの丸眼鏡から覗く青い目は鋭く、充実した気力を体中から発散している、燃え盛る氷のような尊敬すべき上司だ。
「どうして相談してくれなかったのかね?お兄さんが亡くなられたのなら、仕事どころではなかったはずだ」
 課長は白いハンカチで眼鏡を拭きながらわたしをしばらく観察していた。
「もしかして、聞かされたのは君も今日がはじめてなのか?」
「いいえ、確かに先週聞いていました。ですが、正式な通達は今日が初めてでした。それまでは確かな事は何も」
「リンダが君が珍しく悩みごとかなにかで塞ぎ込んでいると言っていたが、こんな大変なこととはな。わたしがフォローするから君は数日休暇を取るといい。いろいろと片付けることも、整理することも多いだろう」
 リードン課長は事務的にそういうと、わたしの顔をちらりと一瞥し、立ち上がって窓辺へゆっくりと歩み寄った。
「お兄さんは、君のたった一人の肉親だったな」
「はい。両親は早くに亡くしましたから」
 わたしが静かに答えると、リードンは窓越しに建物の隙間にのぞく空を見ながら、ぼそりと呟いた。
「世の中は無情だ。離れたい事からは決して離れられなくとも、離したくないものほどたやすく失われて行く」
 わたしは、思いがけない課長の一言に、思わず涙ぐみそうになってしまった。リードン課長は決して甘い人間ではない。他人にも、またそれ以上に自分にも厳しい人物だ。しかし、今の言葉には、同情のような安っぽい感情ではない、悲しみの共感とも言える思いやりが込められていた。その一言で、いままであまりに非日常過ぎて意識できなかった悲しみが、今更ながらわたしの心を引き裂こうとしているのに気付かされた。
「ケイト、君は強すぎる。このままでは君はお兄さんの死という悲しみをも自分自身で完全にコントロールしてしまうだろう。だが、人間には、立ち止まって悲しみにくれることも時には必要だ」
 リードンは静かに机の上の3Dポートレートのスイッチに触れた。その古ぼけた旧式の機械は、鈍い電子音を立てながらぼんやりとした光を放ちはじめ、若い女性と幼い女の子の形を作り出していった。
「君にはわたしのようになって欲しくはない。人間、悲しい時に悲しめないほど悲しい事はないのだよ」
 わたしは、静かにうなずいた。何も言えなかった。わたしが兄の死を感じてから涙を流したのは、あの私立探偵と会ったときだけだった。リードン課長が言うように、わたしは他人にだけでなく自分にすら強がって涙を流す事を禁じていたのかもしれない。
「ありがとうございます」
 辛うじて声をかすれさせずに一言だけそう言ってわたしは課長に背を向け、そのまま部屋を出ようとした。
「兄さんの死を悲しむより、いままでの兄さんの苦労をいたわってあげなさい」
 背中に最後に掛けられた言葉が、いつまでもわたしの心に響いていた。

TF(TeleForm):テレフォーム、もしくは日本語的にはテレフォルムとも呼ぶ。20世紀後半より普及したTVの発展型、三次元映像受信装置。

クレジット:地下都市ネオシャングリラにおける通貨の単位、単位cr。1クレジットが1990年代の日本の通貨に換算して200円程度の価値がある。主に電子通貨としてサイバーネットワーク上の数字として流通しているが、まれにシャングリラ創設当時の硬貨(棒状の形態をしており、長さ・色で価値を区別してある)が使われることもある。ネットワーク上では小数点第五位までを下限として扱っている。
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