RISK - The Real Legend - 10

 5.闇の古城

 「こういうのは酒とは言わん。水じゃ、水。ここで一番強いやつを持ってこい!」
 ケインの大声が狭い酒場中に響き渡る。力強く空の酒杯を叩き付けたせいで台の上の皿が一瞬宙に浮く。
「ドワーフ達が酒に強いとは聞いていたけど、これほどとはね」
 アースは、感心半分呆れ半分で台の上に並ぶ空の酒瓶を数えてみた。すでに五つ。ケイン以外は皆一杯目も空けてはいなかったが、ケインはそれこそ水でも飲むかのように、強めの火麦酒を喉に流し込んでいた。
「彼は、いつもこうなのか?」
 そう聞くと、果実酒を口に運んでいたエルヴァージュが苦笑いをしながら盃を置いた。
「私が一緒のせいでこのような場所に出入りする機会はあまりなかったが、これは、そう、まだ始まりだ」

 アース達は、ローズの町の外れにある、古ぼけた宿屋の一階にいた。
 ザガード国の辺境の町であるローズでは、アース達の様な旅の者も珍しくなく、ドワーフやエルフといった他種族の者が訪れることもしばしばあるはずだった。しかし、ドワーフとエルフという互いを嫌っている二種族を伴った一行というのは珍しいらしく、アース達はこの酒場に落着くまで、町の人々の奇異の目にさらされていた。町に入る門でも怪しまれ、いくつかの宿で怪訝そうに入るのを断られたりもしたが、どうにか転がり込んだ安宿でも、なぜか他の客からは遠巻きに引かれてしまっていた。
「あのお酒っておなかのどこに入るのかしら?不思議だわ」
 誰ともなしにエリーシアが呟くと、六本目の酒瓶を空けているケインを見ながら、フェラルドが得意げに話を始めた。
「そもそも、お酒というのは、水の中に火の精霊の一種の狂酔の精が宿った物といわれていますから、火の属性に近いドワーフ達がお酒に強く、且つ好むのは・・・」
 アースはゆっくりと店の中を見回した。窓際の席についているアースから見ると、菜油の炎にゆらぐ薄暗い店内は、いかにも怪しげに見える。広さ自体はそれほどでもないが、暗さが手伝って店の奥までは見通せず、アース達から離れた席にたむろしているこの町の男達は表情どころか顔立ちすら見分けられない。油で煤けた壁は薄黒く汚れ、壁の至る所に吊るされた棚に並ぶ古い酒瓶が鈍い光を放っている。耳に聞こえるのは、男達の低い呟き声と酒瓶から注がれる酒の音、ケインの大声、そして外の通りの先から聞こえる犬の遠吠えだった。
「いい加減にしときなさいよ、ケインさん!明日の朝には旅立つのよ」
 場にそぐわぬ、エリーシアの声が響く。すると、人影がひとつ、奥の方から近寄ってきた。
「エリスちゃん、ケインのおっさんは放っときな。酒を飲んでいるドワーフが酒を止めるのは、酒が無くなるか金が無くなるか首をはねられた時だぜ」
 店の奥で一人店主と話し込んでいたグレニーは、エリーシアに明るくそう話し掛けながら、アースの横まで歩いてきた。
「腹ごしらえがすんだんなら、上へ行こう。ちょうど部屋が一つ空いているらしい。話はそれからだ」
 グレニーはそう言うと怪訝そうに店の中を見回した。もうこの酒場には用はないといった表情だ。
「それじゃあ、上へ」
 アースがそう言いながら立ち上がると、エルヴァージュとフェラルドはうなずいて床に置いていた荷物に手を伸ばした。
「ケインさんは?」
 その言葉を聞いて、説得をあきらめてケインに酒を注いでいたエリーシアが、困った顔でこちらを見た。
「なんじゃい、もうお開きか。まだ飲みはじめたばかりじゃぞ」
 今まで何をいっても聞かずに酒を口に運んでいたケインが、急にアースの方を見て不満そうに顔をしかめた。しかし、すぐに酒杯を台の上に置き、自分の荷物の所へいくと勢い良く荷物を抱えあげた。
「ケインにしては珍しいな。自分から酒杯を置くとは」
 エルヴァージュが驚いてそう聞くとケインはにやりと笑って親指を立ててみせた。
「いったはずじゃい。あんなのは酒じゃない、水じゃ」

「興味深い話が多いな」
 エルヴァージュが低く呟いた。銀色の髪の間からのぞく額飾りが菜油の灯火に鈍く光る。
 宿屋とは名ばかりの古ぼけた家の二階の狭い一室に、薄汚れた布を被せただけの寝床が六つ用意されており、アース達はグレニーを囲んで思い思いの場所に身を落着かせていた。グレニーは、店主や町の男達から聞いた色々な話の中から信憑性のあるものだけを選んで皆に話し、一切の憶測を加えずに皆の意見を待った。
「気になるのは店主の話と狩人二人の話だろうな」
 エルヴァージュが考え込みながら口を開いた。
「北の丘の上の古い城跡に野盗が最近住みついた、先日町の南の森で木こりが殺された、北の闇の森のエルフ達と裂き髪谷の小人達との連絡がつかなくなった・・・」
 アースがゆっくりと繰り返すと静かにうなずく。
「まずは狩人の話だが、エルラミルの話は分かるとしても、裂き髪谷の小さき人々までも封じられたというのか?」
 裂け髪谷とは、ケールの北東に位置する、小人族「ホビット」達の住む谷の名前だった。
 アース達が出発したケールの町はザガード王国を南北に縦断する大河セントの上流沿いに位置している。 アースたちはそこからセント河を離れ、北西に進むことでエルラミルへと辿りついたが、逆に河沿いに北東に五日ばかり進むと、ローアという小人族の村に着くことになる。そこは下流では海とも間違う大河セントの源流に近い場所で、切り立った険しい渓谷のなかに、百人近い小人族が住んでいた。裂け髪谷の名はその谷の険しさが裂いた髪ほどにも見えることからきているという。
 小人族「ホビット」は、人の腰ほどの背丈しかなく体つきも華奢で一見人間の子供のように見えるものの、人とはまったく違う亜人種の一種族だ。アースも直接見たことはなかったが、自然と平穏を愛し、見掛けによらず強い意志をもつものの、戦いを好まぬ 友好的な種族だと聞いた事があった。
「もし、裂け髪谷もあの魔軍の連中に封じられたのだとしたら、地理的に考えれば、ホビットの村を封じた後にエルラミルを封じたのでしょうね」
 フェラルドが皆を見回しながら言った。
「小人達の村を封じ、エルラ=ミルを封じ、闇の森を南へと下り・・・。それから、どこへと向かったのでしょう?」
「丘の上の城跡の野盗、が怪しいんじゃないかしら?さっきのグレニーさんの話だと野盗の割には鎧を着込んだ騎士みたいな人影が何人も目撃されているんでしょう?」
 エリーシアは考え込んでいるかのように視線を宙に泳がせながらゆっくりと話している。
「野盗達が城跡にいるのを狩人が初めて見たのは六日前なんでしょう?私達が追っていた魔軍も・・・、そう、その頃にこの辺りに辿りついたはずよ。時期的に合うわ」
 エルヴァージュも軽くうなずく。
「確かにそうだ。しかし、南の森で木こりの男が殺されたのが五日前というのも無視できないな」
「そう、もう一人の狩人の話だと木こりの男は剣でばっさり殺られていたって話だ。周りに馬の蹄の跡らしいものも見たって言ってたぜ」
 グレニーがそう言うと、皆考え込むように黙り込んでしまった。北の丘の古城には未だその「野盗」達が住み着いているらしいし、かといってその「野盗」達が木こりを殺したのかと言えば、地理的に無理があるという話らしい。毎日ゴルレオスの丘の近辺で狩りをしている男は、その「野盗」達は六日前に現れてからずっと城跡に住み着いていると言っている。ところが、その城跡から南の森の木こりが殺された場所へ行くには、ローズの町まで降りた後平野を抜けて森に入らねばならず、一日以上はかかるらしい。「野盗」達が南の森で木こりを殺して城跡に戻るには時間が足りない。
「どちらかが魔軍とはまったく関係ないという事か。あるいは両方・・・」
 エルヴァージュが溜め息まじりに呟いた。
「他にはそれらしい話はなかったのか?」
 話を振られたグレニーは軽く首を振った。
「あとは、これといった話は聞き出せなかったな。北のザオックでの魔軍と騎士団の戦いが激しくなってきたっていう噂は聞けたぜ」
 その話も興味深かったが、今は見失ったあの悪魔を引き連れた魔軍の一行を追う事が先決だった。アースは考えを集中するためにゆっくりと目を閉じた。
「魔軍は、一組だけ・・・とは限らないんじゃないか?」
 しばらくの間を置いて、アースは考えを整理しながら話しはじめた。
「俺達が会った魔軍の一行は、ケイン達の話だと闇騎士が残り四人、魔法使いらしい人間が男女一人ずつ、そしてあの悪魔ラグナス、それと捕われたジーディランス卿がいるだけなはずだ。いくらラグナスが強くて強力な魔法使いがいても、たった七人でしかも捕虜の騎士を一人連れながら、敵国の中を旅すると思うかい?特にラグナスのような見た目に目立つ魔物を引き連れて・・・。そう考えるより、他にもこのザガードに侵入した魔物達がいると思った方が自然なんじゃないかな」
 アースがそう言うと、皆、衝撃を受けたように一様に驚きの表情を見せた。
「た、確かに、道理だな」
 エルヴァージュがうめく。
「残照の森を自由に抜けれるとすれば、この辺りまでならば誰でも人間に見つかること無く辿りつけるはず・・・」
「奴等の目的はいったい何なんだ?」
 グレニーが沈痛な表情を浮べて声を絞り出した。
 ローズの町は、折れそうなほどに欠けた月の淡い光に照らされ、夜の沈黙の中に沈んでいた。アース達の泊まる宿屋も、先程までの一階での喧騒が嘘のように静まり返り、重い静寂がアース達を取り囲んでいた。一人一人、六人全員が自分の考えの中で苦悩し、先を憂い、不安を感じていた。
「それを確かめるためにも、すぐにでも行動すべきでしょうね」
 フェラルドが静かに呟く。
「もし、城跡の野盗達があの魔軍の一行ならば、確実に足取りを掴めるにしても戦いは避けられませんね」
「野盗がそこらの無関係でけちなごろつきだったら、木こりの話を考えると魔軍の奴等は南へと向かっている途中だな」
 グレニーの言う通りならば、アース達はあの悪魔を引き連れた魔軍の一行に五日分遅れている事になる。ここで城跡の野盗達の素性を確かめていれば、あと三日は遅れを取る事になるだろう。
「ここで、二手に分かれるか?」
 エルヴァージュが皆の顔を見回した。
「魔軍の一行が南に向かったのならば、ケインが行けば生れ故郷のレディルスクのドワーフ達に警戒を呼び掛けることが出来るだろう。ケインとあと一人か二人が南へ向かい、残りの者が古城跡の野盗達を確かめに北へ戻れば、最悪野盗達が無関係でも、魔物達を野放しのままにせずに済む」
 その言葉を受けて、アースは考えを整理しながらゆっくりと口を開いた。
「今からドロスの山に向かっても、最低四日はかかると思う。俺達は人間の作った道をまっすぐ進めるから、あの魔軍の一行が身を隠しながら進むなら、二・三日奴等に遅れた形で辿りつくはずだ。その頃には奴等はドロスの山の西を抜けてさらに南へ進んでいるんじゃないかな?」
 考え込むアースとエルヴァージュを見ながら、今まで黙っていたケインが咳払いをした。
「どっちにしろ、奴等が何をしたくて、 何処へ向かっているのか分からんのなら先へは進めないんじゃろう?」
 エルヴァージュは少し困ったようにケインに答えた。
「しかし、現に南で木こりが殺されて・・・」
「しかしも何もない!今一番怪しいのは北の城跡の野盗達じゃ。南へあの化け物どもが向かったのならレディルスクのドワーフ達がどうにかしてくれるはずじゃ。疑ってばかりで迷うほどの話でもなかろう?」
 ケインは少し怒ったような口調でエルヴァージュに言い返すと、一瞬口を開けたまま言葉を失い、そして急にぷいと視線を天井へと向けた。
「エルフ達のエルラ=ミルも封じられてのですよ、ケインさん」
 フェラルドが静かに指摘した。ケインもまさにその事に気付いて言葉を失ったのだろう、半分自棄気味に一言言い放った。
「わしはわしの甥達を信じとる。それに取り越し苦労は性に合わん。明日の朝古城跡に行くぞい」
 それだけ言うとケインは自分の寝床にもぐりこみ、話は終わりとばかりに皆に背を向けて寝転がった。皆の顔を照らす暗い菜油の炎も、残りわずかの油の中でくすぶっているだけで、今にも消えそうになっていた。気付けば、窓の外の月も、話を始めた時からすると相当傾いている。
「まあ、戦力を二手に分けるのは避けたいから、今回は北か南かに賭けるしかないんじゃねぇか?ケインのおっさんがああなら北へ行くしかないしな」
 ケインの背中を見ながらグレニーがアースに話し掛けてきた。
「普通の野盗ぐらいの情報だったら俺もみんなに言ったりはしなしさ。そんなのはこの辺じゃ捨てるほどいるからな。ここの主人の話じゃその野盗ってのは町の護民官達も追い出すのを渋るくらいの重装備らしい。ザガードから流れてきた魔軍の敗残兵じゃないかって噂されるくらいだ。こっちの方が当たりと俺も思うぜ」
 アースは軽く片手をあげ、うなずいて見せた。
「わかった。それじゃあ、明日夜が明けたら、北の丘を目指そう」
 その言葉を聞いて、他の四人も真剣な表情でうなずいてみせた。
「明日は早いぜ。エリスちゃん、久しぶりのまともな寝床だ、ぐっすり眠りすぎて寝坊すんなよ」
 グレニーがにやにや笑ってエリーシアをからかっている横でフェラルドが心配そうにアースに声をかけてきた。
「出来れば、戦いは避けたいですね」
「出来れば、な」
 その言葉を聞いたエルヴァージュが背中ごしにそう呟き、薄汚れた布に顔をしかめながら窓際の寝床に入った。
「無謀な戦いは好みじゃない。出来るだけ穏便にいこう」
 アースもそう答えて、一番廊下側の寝床に腰を下ろした。ただの野盗だったら、無駄な戦いは避けて、すぐにでも町に戻らなければならない。だが、そうでなかったら ・・・。今日が最後の夜にならない事を祈るだけだ。そう、祈るだけだった。
 フェラルドが菜油の炎を吹き消した。突然部屋は暗闇に閉ざされ、青白い月の光だけが窓から差し込んでいた。アースはそれぞれ寝床についた仲間達をもう一回見回すと、貴重な休息を取るため、慈悲深い眠りの淵へと心を沈めていった。

「報告を聞かせて」
 古ぼけた石造りの部屋の中央に、その女はいた。半ば黒に近い濃い紫のゆったりとした服を身にまとい、その胸元や手首には様々な宝石を散りばめた装飾品を着けている。長く美しい金髪をきれいにひとつに束ねて背中へと流しており、その衣装と対照的な真っ白な肌に妖しいほど赤い唇が映える。切れ長の目に透き通るような碧眼が浮かび、整った顔立ちの中で絶世とも言える美しさが形作られていた。
「順調に進んでいるのでしょうね」
 妖艶な笑みがその口元に浮かぶ。しかし、話しかけられた男は、大きな背もたれと肘掛けのついた古い椅子に倒れこむように腰を下ろしているその女を前にし、ただただ、片膝をついたまま下を向き、平伏していた。
「黙っていては分からないわ。別に怒りはしないからおっしゃいなさいな」
 男は艶を消した仰々しい真っ黒な鎧を身にまとった 大男であったが、気のせいか小刻みに震えていた。かたや女の方は、男とは逆にゆったりと寛いだ様子で椅子の上からその男を見下ろしていた。
「ここに集結するはずだった騎兵団の精鋭二部隊は、ローゲルファッツァの一団と遭遇したため戦闘となり、五日ほど到着が遅れております」
 意を決したように話しだした男は、震える声を懸命に押さえながら、一息でそう捲くし立てた。
「それで・・・」
 暫くの間を置き、一言言って更に言葉を区切ると、女は表情を変えないまま先を促した。
「遠征隊本隊の方は?」
 その一言に男は下を向いたままびくっと体を動かし、一息深く息を吐き出すと、これも下を向いたまま言葉を続けた。
「ザオック南東部を抜けるのが思いのほか手間取り、当初の予定より月ひとつ程、遅れております・・・」
 男は消え入りそうな調子でそう言うと、頭をさらに下げ、一言、絞り出すような苦しそうな声を出した。
「何卒、お許しを・・・」
 女は、しばらく震える男をじっと見下ろしていたが、何事もなかったかのようにゆっくりと話しはじめた。
「まぁ、いいわ。こちらもエルフ達を封じるのに少し手間取ってラグナスが怪我をしたから、少しだけなら計画を遅らせてあげてもいいわ。その間にラグナスには力を貯えていてもらおうかしら」
 ここで初めて、男は顔をあげ、女の椅子の後ろの壁際の方に目をやった。そこはこの部屋を支える大きな四本の支柱のひとつで影が出来ている場所だったが、その影を恐ろしい闇に変えている悪魔の方に目がいったのだ。
「ならば、俺も我が儘を言わせてもらって、闇炎の塔で傷を癒させてもらうか」
 地の底から漏れてくるような恐ろしげな低い声が、その影から響いてくる。男は、そこに四本腕の悪魔の姿を認め、慌てて視線をずらした。
「闇炎の砂漠は少し遠すぎるけど、あなたの出番はしばらく無いはずだから構わないわ。 ただ・・・」
 女はゆっくりとその美しい顔を動かし、柱の影に目をやった。
「あまり居心地がいいからといって、肝心の時に遅れるようなことはしないで頂戴ね」
 四本腕の悪魔は笑ったのか、低い引きつったうなり声をあげてそれに答えた。
「わたしはその間に竜狩りに行かせてもらおうかしら。小人族の渓谷の北に眠っている緑竜の巣があるそうなの。ゲールがドワーフの斧を持ち帰る迄には戻ってこれると思うけど・・・」
 そこで女は少し体を起こし、いまだに跪いたままの男の方に心持ち向き直った。
「今いる戦士達や闇騎士は殆どわたしかラグナスが連れて行くと思うけど、あなたにここを任せて大丈夫かしら?」
 男はまたもやびくっと体を動かし、驚いて女の方へ顔を向けた。
「わ、わたくしに?」
「あなたも我が魔軍の優秀なる指揮官の一人でしょう?大事な計画の前での振る舞い方ぐらい心得ているわね」
 女はやさしく微笑むとやわらかに言葉を付け加えた。
「覚えておいて。わたしは失敗した者には二度は微笑まないのよ」
 男は全身から吹き出す冷たい汗に耐えながら、さらに頭を下げ、やっとの思いでかすれた声で返事をした。
「承知いたしました・・・」
 男は一言そう言うと、重い鎧をまとった体を引き起こし、体を女の方へ向けたまま静かに後ろへ後退し、部屋にひとつしかない扉から音もなく退室した。
「貴殿にしては、ゆっくりと構えておるな」
 柱の影から悪魔の声が響く。聞くもの全てに底知れぬ恐怖を呼び起こす不快な掠れるような声をかけられながらも、女は眉ひとつ動かさず平然としていた。
「戦いには時機といものがあるわ。今回の計画は早ければ良いというものでもないのよ」
 優雅な動作でゆっくりと立ち上がった女は、ゆったりとした服の裾を引きずりながら、窓の方へと歩み寄った。
「多少攻めるのが遅れても、大丈夫。この国を亡ぼすのが目的じゃないわ。まずはあの騎士団が狙いよ」
「あの、取り逃がした騎士を助けた者達はどうするつもりだ?」
「あぁ、ドワーフとエルフの奇妙な取り合わせの二人の事ね。闇騎十二人を倒されたのには驚いたけど、気にするほどでもないわ。所詮亜人種、人間の王国の心配などしないはずよ」
 女はそう言うと、薄く微笑み、夜空に向かって静かに呟いた。
「全て順調ですわ、デュエン様。全て予定通り。なにもかも・・・」

 朝にローズの町を出発し、丘の頂上を目指したアース達は、数日前北から旅してきた闇の森からの山道を眼下に見ながら歩みを進め、日が沈む前にはどうにか丘の頂上あたりまで到達できていた。突然林の中で敵に遭遇する事を考えて慎重に進んできた割には、早く辿りついたと言える。しかし、アース達にも古城跡が目で確認出来るようになったその時、先頭を慎重に進んでいたグレニーが、止まるよう皆に手を上げて見せてから、ゆっくりと戻ってきた。
「運がいいのか悪いのか・・・当たりだぜ」
 声を押し殺しながらもグレニーが低く呟いた声は、張り詰めた空気の中では驚くほど大きく聞こえる。
「ここからじゃあはっきりとは言えねぇが、入り口に立ってるのは人間じゃねえ。オークだ」
 夕闇に沈む丘の上にそびえ立つ古い城は、城というには小さすぎるものの、屋敷というには頑丈な造りをしていた。人の背ほどの石作りの外壁がその周りを囲み、中の建物自体も古く朽ち果てかけてはいるが、石造りで三階建てはある。全体的に崩れかけの廃墟といった外見をしているが、見た目よりもしっかりしているのだろう。各階の窓からちらちらと明かりが漏れており、中で充分生活出来る事を物語っている。慎重に近寄っていた一行を制してグレニーが言った通り、入り口の門の所には二人の人影が見えた。
「この様子だと結構な人数がいるはずだな。見張りまで立てているしな」
 エルヴァージュもグレニーの言葉を肯定する。
「あの妖魔達は自分勝手で通常集団行動が出来ない種族だ。群れはしても統率されない。特にある特定の者を見張りに付けるといった行動は取らないはずだ」
 エルヴァージュが門の辺りに目を凝らしながら誰ともなしに話しはじめた。
「オークが門番として立っているとするなら、城の中のもの達には力による明確な統制が行われていると考えた方がいいだろう。普通の野盗程度では考えられぬ事だ」
「馬のいななきが聞こえるわ」
 エリーシアがポツリと呟く。確かに一頭や二頭ではない、複数頭の馬達のいななきが林に響いている。
「それで、どうするんだ?」
 グレニーがアースの方を振り返る。
「こいつが当たり、だとしたら中に魔術師が二人に悪魔が一匹、だ。この分だとその他大勢もまとまった数がいそうだな」
「奴等全員と戦うのが俺達の目的じゃないはずだ。奴等の目的さえ分かれば・・・」
 確かに、正面から突っ込んでいくのは明らかに無謀すぎる。特にあの建物の中に古の昔時の王国の軍隊を全滅させたという悪魔や、正体不明の魔法使いがいるかもしれない、という場合には、だ。アースは困り果て、ゆっくりと周りにいる仲間を見回した。
「何を今更悩んどるのだ?」
 ケインに目が合うと突然、ケインが口を開いた。
「目の前に敵がおるなら武器を構えれば良いではないか。それに、あの馬鹿鬼の門番ならば居眠りをしとるわい!」
 ケインがそう言って指をさした先には門に立つ二つの人影があった。
「居眠りをしている、だって?あんな遠くが見えるのか?」
 グレニーが驚いて目を凝らすが、どうも沈みかけた日の光では区別できないらしく、自信無さげに首を傾げる。
「確かに身動きひとつしないが・・・自信はないな」
「ケインさんには見えるの?」
 エリーシアが小声で聞くと、ケインは自信たっぷりにうなずいて見せた。
「あの悪魔を目の前にして怖じ気づくのならまだしも、今の所相手は居眠りをしている小鬼が二匹。考えるまでもあるまい」
 ケインはそう言って斧を担ぎなおすと、急に門を目指して歩きはじめた。
「おいおい、ケイン、止まれよ、起きてたらどうすんだよ。おいっ、アース、どうすんだ?」
 グレニーが器用に小声で怒鳴りながらケインを止めようとその肩に手を掛けたが、ケインは気にせず歩みを早めた。いくら歩みの遅いドワーフでも、これではすぐに門番の視界内にはいってしまう。
「エルヴァージュ、門番の二人以外に誰か見えるか?」
 アースは小さく首を振るエルヴァージュをみながら、なかば呆れながら仕方なく立ち上がった。
「グレニー!ケインと一緒に門番を倒すぞ!出来るだけ音を立てないように。エルヴァージュとフェラルドはうしろから援護を。エリーシアは建物の中に気を配ってくれ。誰かが騒ぎに気付いたようだったら、ひとまず退く!」
 アースがそう言って歩き出すと、皆もアースに従い、音を立てぬように気遣いながらも木々の間をぬって古城に近づきはじめた。
「アース、 相手が寝ているのなら、飛び道具で片をつけた方がいい」
 アースに並ぶように歩くエルヴァージュがその背に背負う弓に手を掛けてそう言うと、アースもそれに同意した。
「君の矢の合図で門番に切りかかろう。それにはケインに追い付かないと・・・」
 アースは、自分が歩きながらたてる騒々しい鎧の金属音が、門番の耳に入っていない事を祈りながら歩く速さを上げた。うるささに関して言えば、少し前を行くケインの鎖帷子もアースに引けを取っていない。ようやく追い付くと、呆れ顔のグレニーが振り向いて呟くようにアースに愚痴をこぼした。
「どうしてこう血の気の多い連中と旅する羽目になっちまったのかねぇ。作戦もへったくれもあったもんじゃない」
「何を言う、作戦なぞと称して考える時間をかけるのは、つまらぬ心配ばかりで先に進む勇気の無い臆病者の言い訳じゃ。見てみい、わしが歩きだしただけでこの小僧っ子はどうやって門番を倒すか瞬時に考えを巡らしたではないか。まず行動、そして考えろ、だ」
「そして後悔、ってこともあるぜ。・・・で、どうする?」
「とりあえず近づく。エルヴァージュの矢の届く距離まできたらエルヴァージュが門番の片方を射る。それを合図に三人で静かに切りかかる。あとは成り行きしだいだ」
「静かに切りかかる?成り行きしだい?はっ、見事な作戦だぜ」
「うむ、確かに見事。簡単明瞭、小鬼二匹には相応な作戦じゃの」
 ケインの言い草に呆れながらも、グレニーは同意して見せた。
「分かった。その話、乗ったぜ。そうと決まればおしゃべりは終わりだ」
 そうして、夕闇の林の間をぬって、六つの影が古城へと静かに近づいていった。

close
横書き 縦書き