PLUTIA 02
私には、一人の兄がいた。
母の胎内にいるときからずっと一緒で、同じ日に生まれ、ともに育ち、喜びも悲しみもその多くを分かち合ってきた。
両親がいなくなってからは、ただ一人の家族として互いに励まし合い、助け合って今まで生きてきた。
大きくなって違う道を歩むようになってからも、心のどこかでは通じ合っていたはずだった。
そう、2週間前のあの日までは・・・。
その日は、違法武装者の逮捕も違法人体改造業者の摘発もない、3課にしてみれば異例とも言えるほどの平和な一日で、特別統制局の建物の6階にある私のオフィスでは、課長代理の私だけがBIMU*を前に仕事を続けていた。
いつもなら逮捕者や摘発者の尋問に関係するたくさんの人達が出入りしている時間帯で、私の他にも私自身の公設秘書が最低二人、ガードマンが二人、尋問官に刑事法務官、と当事者を考えずとも部屋いっぱいの人達がいるはずだった。
しかし今日は午前中いっぱいで昨日までの諸手続きはあらかた処理してしまい、秘書の二人にも帰宅許可を出してしまったので、この部屋には私一人が残る格好となってしまった。
その時、私は最後の報告書に目を通し、確認済のコマンドをディスプレイ上でコールしようとしていたところだった。
『アクセスコール受信、アクセスコール受信。最優先コール2A5Rです。』
私は、強制的にオープンされた受信ウィンドウに戸惑い、その送り主が兄であることをコールナンバーで確認してさらに困惑した。
兄ならば、仕事中に強制コールをかけるようなことは絶対にしないし、あと1時間も待てば第五階層”ジョビニア”の東部地区にあるわが家で顔を合わせるはずだったからだ。
「いいわ、現状をホールドしたまま主管轄を外部アクセスモードに移して。」
念のために対侵入攻性防壁のレベルを最大限にして、私は画面上に画像ウィンドウを開かせた。
すると、そこにノイズで乱れた砂嵐のような映像と、意味なく変調を繰り返す雑音が出現した。
「ケイト・・・、企業政府・・・陰謀・・・ダメなら・・・プルーティ・・・」
ちらりと人の姿が見えると急に画像は切れ、音声もはたりと止まった。
その後は始まったときと同じように外部アクセスモードは自動的に退避し、画面上にはついさっきまでやっていた仕事上の報告書が戻ってきていた。
「な、何?今の。」
『緊急回線を使った違法な外部アクセスだった模様です。発信者は不明、発信時刻17:35・・・』
机の上のディスプレイの画面上には無意味な解説の文章が明滅している。
発信者不明、発信端末確認できず、発信位置認定地域外。
私の心のどこかに何かすっきりしない漠然とした不安感が沸き起こっていた。
何の根拠もないが、かといって無視できない、そんな類の不安感だった。
そして、それは夕方には確実なものになっていた。
不安感は、絶望への前奏曲にすぎなかった。
夕刻、オフィスで受けた強制コールのことが頭から離れず、焦りを抑えながら家路を急いだ私を迎えたのは、他に誰もいない無人のわが家だった。
嫌な予感を訴え続ける心を無視しながら、私は服も着替えずに兄を探すためホームサーバントシステムをオープンした。
「コードが存在しないですって?それはどういうこと?」
操作を始めてすぐに目に飛び込んできた警告文を見て、私はつい大きな声をあげてしまった。
『検索目標に指定されたコードの前保有者であるラルフ=J=タカミヤは、西暦2049年7月5日、新暦50年1月5日をもって登録抹消されています。該当項目は死亡または政府管轄域外への移動・逃亡。全ての個人情報は政府官轄の情報管理局により永久凍結指定がなされています。』
それは、兄がこのシャングリラのどこにも存在していない、つまり記録上は死亡したとみなすということを婉曲的に表現した文句だった。
それも昨日づけで!
今日は1月の6日であり、私は今朝元気な兄と顔を合わせている。
私は私的に利用することを極力避けていた特別統制局幹部コードを使って、情報管理局に直接この事を問いただしてみた。
一般回線からの強引なアクセスのせいもあるが、情報管理局につながるまでの一分は永遠とも思えるほど長く感じられた。
「ご指摘のコード登録抹消および情報凍結は確かに昨日づけで効果を発しています。タカミヤさん、あなたの思い間違いということはないのでしょうか?
近親者をお亡くしになって混乱なさっているのは分かりますが情報管理局のマザーコンピュータの記録にも正式に記録されておりますので間違いはございません。念のためラルフ=タカミヤ少尉の直属の上官や同僚の方にも確認をとりましたが返答は同様のものでした。」
情報管理局のオペレータにしばらく待つようにいわれ、さらに長い10分間の沈黙の後に告げられた言葉は最悪なものだった。
「そんなはずはないわ!今朝には確かに兄は元気だったんですもの!それとも私は幽霊と話をしたとでも言うの?」
「タカミヤさん、これは忠告ですがこれ以上特別統制局幹部特権を濫用して正規の情報環境を乱さないほうが身のためですよ。今回は特例ですがあまり繰り返されるようだったら特殊コードの剥奪という強硬手段がとられた例もあることですし・・・」
私はその言葉を聞いて初めて昨日づけの登録抹消処理に隠された本当の意味に気付いた。
兄は、ラルフ兄さんは、企業政府に意図的に消されたのだ!
重くのしかかる闇が突然姿を表わし、それが私の全てを飲み込んでしまった。
私の目の前には、一人の男が向かい合って座っている。その男は、黒い合成樹脂製のロングコートを脱ぎもせずに腰掛け、油断なくこちらをうかがっている。
肩や腕のふくらみからアートコンバート*は未使用、リーインフォースユニット*も着用せず、といったことがわかる。ここまではデータ通りだった。
ネオ=シャングリラシティー、第五階層”ジョビニア”の中央地区にあるとある喫茶店の一番奥のテーブルに、私は今日初めて会った男と二人きりで座っていた。
「はじめまして、わたしは・・・。」
「ケイト=タカミヤさんだろ?俺がジルファスだ。ジルって呼んでくれ。」
男は少し無理をしながらも、愛想をふりまきたいのかにこやかに笑って握手を求めてきた。手を差し出すと軽く握り、どんな相手でも不快に思わない程度の礼儀正しい握手をしてくれた。
「俺はせっかちなんでね、早速依頼の内容を聞かせてもらえるかい?」
そして差し出すよりも明らかに素早く手を引っ込めると、男は私が最も恐れていた質問をしてきた。
仕事の依頼・・・。内容は簡単だった。行方不明になった兄、ラルフ兄さんを探し出す、それだけだった。問題はそれから先の細かい事情について聞かれれば答えざるを得ないということだった。
「・・・どうしたっていうんです?黙ってちゃあ何も分かりませんよ。」
彼は、登録上の職業は私立探偵ということになっているが、実際はハンターと呼ばれる種類の人間だ。
そして、彼等ハンターは、私の仕事上の規制対象でもある。
私の仕事は、企業政府の管轄下、違法に武装した者や闇ルートにより極端な改造・強化をした者の摘発・武装解除を目的としており、主なターゲットは一般人ではなく、彼のような武器を片手に化け物たちにかけられた賞金首を目当てに生活している、準専業的な武装者に向けられている。
「ふう、あんまり信頼されるタイプってわけじゃないとは自分でも分かっちゃいるが・・・。」
長い沈黙に耐えかね、男は息を噴き出すようにため息をついた。
「御免なさい、そういう理由じゃないんだけど、ただ・・・。」
「ただ?」
「ただ・・・どう話せばいいのか分からないだけなの。」
彼は、私が黙っているのが彼を信用していないためだと思い始めている。
そわそわと視線を動かしながら時折私の顔色をうかがい、目が合うとそれと見せないよう気を付けながら慌てて視線をずらしたりしている。
確かにそれほど悪い人物ではないような気もしてきた。
「んん、それじゃあ必要なことについて俺から質問させてもらおう。O.K?」
「ええ・・・、お願いするわ。」
私にはこれからの彼との会話の情景が容易に想像できた。
(職業は何だい?)・・・(統制院特別統制局害獣対策部第三課課長補佐)
(は?あの第三課の課長補佐?それじゃあ、俺に俺たちをブタ箱にぶち込む捜査官野郎の手伝いをしろっていうのか?)・・・(イエス)
(ふざけんじゃねえ!怪我しないうちにキャピタルトップの化け物屋敷の中に帰りな!)
・・・終幕。所詮彼にとっては私は政府の官僚機構の一部分で、毛嫌いこそすれ助けようなどという相手には見えないはずだった。
「本当に俺の助けが必要なのか?」
「えっ?」
突然の質問に私は思わず聞き返してしまった。
「だからあんたみたいな人が俺のようなやばい人間に助けを求めるようなことがあんたの身に起こっているのかって聞いたんだ。」
真剣な表情だった。
私はその問いにもまだ話す決心がつかずにうつむいてしまった。
そう、他の誰にも相談できず悩みに悩んで最後に彼に行きついた。
しかし、わたしが頼みたいことはあまりに馬鹿げていて、危険で、そして成功の目処など到底たたないものだった。
そして、彼のような見ず知らずの人間には軽々しく言えるような内容でないことも確かだった。
「言えない!やっぱり、言ってももう、どうしようもないわ!」
私は、自分は弱い女ではないと今まで思っていた。
しかし、それは今ほど精神的に徹底して打ちのめされたことがなかった時に抱いていた妄想だった。
助けがほしかった。涙を流す勇気が欲しかった。
「それは俺が決めることさ。特別統制局の課長補佐殿に出来ないことでも、ゴミだめにのたうつエセ私立探偵になら出来るかもしれないだろう?」
私ははっとして彼の顔を見つめた。どうして・・・。
それから私は、まず、涙を流す勇気を奮い起こすことが出来た。そして、一筋のか細い希望の糸にしがみついた。
*アートコンバート・・・Artificial Convertの略称。人工改造。人間の肉体の一部もしくは全身を機械化することで驚異的な力を得ることを目的とする外科手術、またその時に使用される機械ユニットの総称。
*リーインフォースユニット・・・Reinfoce Unit 。外科手術なしに各種能力を効果的に上昇させるために人体の各部に取り付ける機械装置。前述のアートコンバートとともに医療分野からの応用・分化により発展した。